- 会社から、そろそろ帰って来れないかと言う雰囲気の中、ギリギリの最終日に何とか荼毘に付す日まで居れました。
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- 自分の父親も、この先の斎場でした。
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- 本人が一番、何が起こったのか判らなかったんじゃないかと言う気がします。
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- 堺市駅から、大阪駅、新大阪へと乗り継ぎます。
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- 新幹線の中でも、ネットが出来る時代に来ましたね。
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- 帰りは富士山も見えずでした。
- 長くいたわりには、あっという間の1週間でした。
- CAT-2(P6000)
2009年10月15日
大阪の様子 その5
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でも、東海道区間は270しかだせないのが
残念ですね。
私はつい最近100円PC(E-モバイル)を購入して、
やはり営業へ出る時には必ず持参しています。
今や仕事にPCは必需品ですね。
私も子供がいないので、自分の後始末は自分でしないと
いけないなぁ。。。と最近思います。
今は40代だし、仕事もバリバリしていますが、もし
身体を悪くしたらと思うとゾッとします。
9月末からIT関連の事業に取組むことを決断しました。
それも、継続的な権利収入を得たいが為です。
ご友人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
亡くなった後は、本人の意志が判らないので書き残して貰うのが一番ですが、常日頃そんなの書いてるのも厳しいので何ともですね。まずは、健康第一と言うことで!